ニュージーランドの教会でいただいた日曜日のしおり ー2023年4月30日
今日いただいたしおり。開いたときにまず目に入ったのは、このイラストとメッセージ
眠りにつく前に、毎晩、みなを許しましょう、そして、きれいな心で眠りましょう
Kinoko訳
すてきなメッセージだな、と思いました。その日にあったことはその日に流して、許して、感謝して、そして眠る。ぐっすり眠れそう、心にとめて、今晩から思い出して、できますよう、と祈ります。
そのあと、イラストの前に書かれたいた文面が目に入ってきました。
マタイの福音書 7章1節
このしおりの中の聖句マタイの福音書7章1節はキングジェームス版でシェイクスピア時代の英語なので、読みにくいですが、NIV( New International Version)では
Do not Judge, or you too will be judged.
Matthew 7:1
日本語聖書では、「さばいてはいけません、さばかれないためです」
と訳されているのですが、英語の聖書を読んでみると、私的にはこの訳はあってない気がします。
ブログのタイトルに書いたように、【人のことを決めつける人は、あなたも決めつけられるますよ】という意味合いが強いように思うのです。
アラフィフ世代になって、この聖句は自分でも経験してきてよくわかってることですが、それでも、ふと、自分勝手な思いになりがちだったり、配慮が足りない、ようなことが日常にちらばってきてしまいます。
一番に目に入ってきた「小さな教会ねずみ」の言葉
Before going to sleep every night, forgive everone and sleep with a clean heart
Littel Church mouse
「眠りにつく前に、毎晩、みなを許しましょう、そして、きれいな心で眠りましょう」
次の日、新しい朝にきれいな心、フレッシュに復活できるように思いました。
マタイの福音書7章のススメ「豚に真珠」「自分のことは棚にあげる」
マタイの福音書7章1は、いろいろ考えさせられる箇所がいっぱいです。6節は有名な豚に真珠の言葉もでてきます。「聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。
3節では「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。」
そして4節「自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。」
まさに「自分のことは棚に上げる」あげてしまう傾向がありがちな私たち・・・
マタイの福音書は2000年前にイエス様が語られた話を弟子のひとりであるマタイが書き残しました。
本当に人間の性質は2000年前から何も変わってない、と聖書を読んでるといつも感じます。だから、聖書を読んで、神様のメッセージをちゃんと受け取れるように、と思うのです。
7節「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。」
8節「すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである」
このブログが聖書を身近に感じていただける種になればうれしく思います。